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忘れられていく何か大切なもの

一緒に住んでいたわけではないので、おばあちゃん子と言われるほどではなかったけれど、わたしは幼い頃、父方の祖母になついていて、週末に両親に連れられて遊びに行くと、そのままひとりで泊まらせてもらうこともあった。

とにかく、わたしの目には祖母は、それはそれはいつも優しくて、人の好いおばあちゃんだった。

父の転勤で引っ越してからは、遠くなってしまったので、しばらくめったに会わなくなっていた。やがて高校生になり、受験のため上京したときには、迷うことなく、祖父母の家に泊まらせてもらった。そのころは、祖父母も引っ越しをしていて前の家ではなく、古くてちいさな長屋だったけれど、大好きなおばあちゃんと一緒にいられるのは嬉しかった。

おじいちゃんもいつも笑顔を絶やさない人で、ただおばあちゃんほど、孫たちと話をすることはなかったけれど、いつだったか、おばあちゃんのいる前で、話していた。この人は学校へ行ってないんですよ。字が読めないんですよ。なんて言ってたと思った。

あの頃、すでに老人たちは、自分たちの古い知識や考え方は、もう役に立たないんだと思い込まされていた。控えめで、もてなし上手だった。

短大へ通っていた頃、祖父母の家は2、3時間で行けるところだったから、ある週末、思い立って遊びに行くね、と電話をしたら、おばあちゃんは、さも珍しいことのようにちょっと驚いて半分笑いながら、そんなことしなくていいのにと言った。わたしはもっとおばあちゃんの話を聞いておけば良かったと思ってる。
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ミルクコーヒー

コーヒーの味を最初にわたしに教えたのは、祖母だったと思う。
いつだったか、親に連れられて遊びに行って、翌朝の朝食に、トーストとインスタンコーヒーをたっぷりのミルクで入れてくれた。
家では、母がまだコーヒーは早すぎると飲ませてくれなかったから、なんだかうれしかった。牛乳瓶や三角パックのコーヒーミルクとは違う、甘くてもほろ苦さがあって、美味しいのかどうかよく分からなかったけれど、好きだと思った。

アパートのころ

わたしの最初の記憶は2才のときの母の実家でのことだったけれど、そのころ、わたしたち3人家族は引っ越しをしていて、その引っ越し前の家での記憶は、わたしにはまるで残っていない。長女のわたしにはたくさんの写真が残っているけれど、写真を見ても、何も思い出すことがない。だからおそらく最初の記憶の時は、引っ越した後だったのだと思う。新幹線に乗って引っ越して来たのだと話に聞いている。

引っ越した先の家は、鉄筋コンクリート3階建てのアパートで、畳の部屋が2つと、ダイニングキッチンがあった。そこでのことは、いろいろと覚えているけれど、アルバムを見返さなければ、起きた順がもうあまりよく分からない。


同じ棟のアパートには同い年の男の子が2人いて、よく遊んだ。ひとりはいじめっ子で、もうひとりはやさしかった。ある日、なにかで泣かされて家に戻っていたら、外から名前を呼ばれた。ベランダに出てみると、きれいな色のスーパーボールが飛び込んで来た。誰が投げたのか分からなかったけれど、でもたぶん、あの子だったに違いない。

ブロック代りに、大きめの絵本を何冊も広げて建てて積み重ね、お城をつくるのが、好きだった。もちろんそこへ、お気に入りのその子を招いたこともあった。絵本はアンデルセンやグリムやイソップや日本の昔話…シリーズのものを与えてもらって、何度も繰り返し読んでもらった。

あの頃は、たまにお豆腐屋さんが自転車で売りに来ていたり、野菜やくだものを売りに来るトラックがあったりした時代だった。アパートの敷地内にコカコーラの自動販売機が設置された時は、ちょっとした事件だった。もちろんわたしはファンタオレンジのファンだった。

最初の記憶

芥川龍之介が「追憶」というタイトルで、子ども時代の記憶を書き残しているのを読みました。それに触発されて、わたしも書いてみようと思いました。


この世に生まれてからの記憶は、私の場合、いとこのお姉ちゃんたちとのままごと遊びのシーンから、始まっているようです。

祖父母の家の台所のお勝手口で、引き戸を開け放して、そこに5、6人…もっといたような気がする…女の子ばかり寄り集まっていました。鶏卵かうずらの卵かのプラスチックの入れ物で、なんだかやっていた。

何かの行事で母方の実家へ親戚ぢゅうが集まったときのことかもしれません。
みんな、遠くに住んでいましたから、そんなメンバーで遊ぶことは、とても珍しいことでした。
写真が残っていて、その日付はわたしが2才だったことを示していました。写真があったから、記憶が蘇ったのか…よく分からないけれど、でもあのお勝手口でいとこのお姉ちゃんたちに囲まれて、自分も一人前になったような気分でいた記憶は確かに残っています。

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