忘れられていく何か大切なもの
一緒に住んでいたわけではないので、おばあちゃん子と言われるほどではなかったけれど、わたしは幼い頃、父方の祖母になついていて、週末に両親に連れられて遊びに行くと、そのままひとりで泊まらせてもらうこともあった。
とにかく、わたしの目には祖母は、それはそれはいつも優しくて、人の好いおばあちゃんだった。
父の転勤で引っ越してからは、遠くなってしまったので、しばらくめったに会わなくなっていた。やがて高校生になり、受験のため上京したときには、迷うことなく、祖父母の家に泊まらせてもらった。そのころは、祖父母も引っ越しをしていて前の家ではなく、古くてちいさな長屋だったけれど、大好きなおばあちゃんと一緒にいられるのは嬉しかった。
おじいちゃんもいつも笑顔を絶やさない人で、ただおばあちゃんほど、孫たちと話をすることはなかったけれど、いつだったか、おばあちゃんのいる前で、話していた。この人は学校へ行ってないんですよ。字が読めないんですよ。なんて言ってたと思った。
あの頃、すでに老人たちは、自分たちの古い知識や考え方は、もう役に立たないんだと思い込まされていた。控えめで、もてなし上手だった。
短大へ通っていた頃、祖父母の家は2、3時間で行けるところだったから、ある週末、思い立って遊びに行くね、と電話をしたら、おばあちゃんは、さも珍しいことのようにちょっと驚いて半分笑いながら、そんなことしなくていいのにと言った。わたしはもっとおばあちゃんの話を聞いておけば良かったと思ってる。
とにかく、わたしの目には祖母は、それはそれはいつも優しくて、人の好いおばあちゃんだった。
父の転勤で引っ越してからは、遠くなってしまったので、しばらくめったに会わなくなっていた。やがて高校生になり、受験のため上京したときには、迷うことなく、祖父母の家に泊まらせてもらった。そのころは、祖父母も引っ越しをしていて前の家ではなく、古くてちいさな長屋だったけれど、大好きなおばあちゃんと一緒にいられるのは嬉しかった。
おじいちゃんもいつも笑顔を絶やさない人で、ただおばあちゃんほど、孫たちと話をすることはなかったけれど、いつだったか、おばあちゃんのいる前で、話していた。この人は学校へ行ってないんですよ。字が読めないんですよ。なんて言ってたと思った。
あの頃、すでに老人たちは、自分たちの古い知識や考え方は、もう役に立たないんだと思い込まされていた。控えめで、もてなし上手だった。
短大へ通っていた頃、祖父母の家は2、3時間で行けるところだったから、ある週末、思い立って遊びに行くね、と電話をしたら、おばあちゃんは、さも珍しいことのようにちょっと驚いて半分笑いながら、そんなことしなくていいのにと言った。わたしはもっとおばあちゃんの話を聞いておけば良かったと思ってる。



