そこに何か閃くものがあるなら意味ありと思うけど、
ただ淡々と、長々とじゃ、眠くなるだけで、わざわざ鑑賞する意味あるんだか疑っちゃいます。
人生を淡々と生きるということは、ひとつの賢い生き方だと思うけど。
なんてことを思ってしまったのは、もう何年も前だけど、何と言う映画だったっけ…あ、“Dancing with Woves”だったと思う。
あってたー。調べてきました。^-^;
ケビン・コスナーかぁ。1990年だったんですね…。もうすごい昔じゃんね…w
当時はかなり脚光を浴びていたので、わたしも観てみたことがありましたが、たぶん途中で挫折したと思う。英語で観てたしね。(ちなみに、今のわたしは、映画ってつくづく、わたしとは関係ない世界だなって感じで興味薄いです)
映画を観るような人たちに向けて、こんな淡々とした人生を生きてる人たちもいる、と伝えようとしていたというのなら、それなりに意味があったのかもしれないけど…、そのために…ご苦労なことです。。。^-^; ま、それができる人たちがやったことですから、なんの問題もないんでしょう。
とここまでは、実は前置きみたいなもので、こんなことを思ってしまったのは、アメリカ・インディアンに生まれたかったな、などと、ふと思ったからです。
いえ、もちろん、西洋人に侵略されて、恐ろしい目に遭っていたような時代じゃなくて、もっと以前の平和な時代にですけどね。発達した医療なんかなくたって、彼らは病気や怪我の治し方を知っていた。
世界ぢゅうで、一番ストレスのない種族とか国家とかが、あるのか、知られているのかも知らないけど、たぶん、文明の発達し過ぎた都会ではないと思う。なんにもなくて、自然に近ければ近いほど、のほほんと幸せに生きてるような気がするのは、それほど検討違いじゃないでしょう。血族が肩寄せ合って、守り合って生きてる、というのが、とてもうらやましい。
もう、特に生きたいという欲求もないし、死後の世界に恐怖はないけど、ただ死に至る苦しみだけは怖いので、それで生きてるってなもので、どうせ生きなきゃなんないなら、少しでも苦しみは減らしたいわけです。
こんなふうに思うわたしは、別に珍しい人間でも何でもなくて、普通の人ならきっとみんな、おおよそ賛同してくれると思います。
そこへ、別に特別、生活に苦労してるわけでもなさそうなのに、弱者を振り回して金儲けのために利用しようと企むような人間を雇ってるような場所にヤフージャパンが含まれるなんて、信じがたいです。
でも、わたしは見てしまったのですよ。